
昭和19(1944)年8月21日、800人余学童を含む約1800人を乗せ那覇港を出航した学童疎開船対馬丸は、翌22日の夜、鹿児島県悪石島付近で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、撃沈されました。このとき、学童780人を含む1485人(平成26年8月22日までの氏名判明者)が一瞬のうちに帰らぬ人となりました。
この年7月から翌20年3月の最後の疎開までに、沖縄から出航した延べ187隻の疎開船(乗船者約8万人)のうち、一度にこれほど多くの子どもたちや民間人が犠牲になったのは対馬丸をおいて他にはないといわれております。
