対馬丸(つしままる)が沈没(ちんぼつ)した海域(かいいき)は潮(しお)の流れが速く、さらに台風の影響(えいきょう)で波も荒(あら)く、翌朝(よくあさ)までに多くの人々が力つきて海底へと沈(しず)んでいきました。
対馬丸に乗っていた疎開者は1,661名。(船員や兵隊を入れると全部で1,788名)その半分は学童疎開の子どもたちでした。皆さんと同じぐらいの7才から14、5才の子どもたちが大ぜい乗っていたのです。
でも、ほとんどの人が対馬丸といっしょにしずんでしまいました。亡くなった人は全部で1,418名、そのうち学童は775名です。
でもこれは、現在名前がはっきりわかっている人数で、確かなことはいまだにわかりません。
対馬丸が沈められたとき、何名が生き残って何名が亡くなったのか、くわしい調査はされませんでした。